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盲B盲G
暗い空を背景に、冠雪した富士山の山頂付近を大きく捉えたモノクロ写真。斜めから光を受けた雪の稜線が白く浮かび上がり、裾野は闇に沈んでいる

「助けを借りることは、相手の力を信頼すること」

大胡田裕さん(静岡県立沼津盲学校出身)

「いずれ見えなくなるよ」。父からそう聞かされて育ち、11歳で全盲になった大胡田裕さん。沼津の盲学校で柔道部を立ち上げ、筑波大学附属盲学校で「英語で勝負する」と定め、現在は静岡県の普通高校で英語教諭として20年にわたり教壇に立っています。「助けを借りる力こそ自立」とおだやかな口調で語る大胡田さんに、歩みを伺いました。

🎧 大胡田裕さんのインタビューをAIポッドキャストで聴く

※この音声は記事をもとにAIが生成したもので、独自の解釈が加わっていることがあります

聞き手:―はじめまして!いつもお兄様にはお世話になっています。

大胡田さん:
そうみたいですね!今日はよろしくお願いします。

聞き手:―盲B盲Gでは恒例なんですが、まずは「ざっくり自己紹介」をお願いします。

大胡田さん:
はい、大胡田裕です。静岡県立沼津盲学校(現・沼津視覚特別支援学校)に小中と通い、筑波大学附属盲学校の高等部に進み、現在は静岡県立沼津城北高等学校で英語の教員をしています。

先天性の緑内障で、11歳の時に全盲になりました。一番見えていた頃でも、目の前で指を数えられる程度の視力でしたが、色の記憶は鮮明にあります。冬の富士山の真っ白な雪と、突き抜けるような空の青。テレビで見たドラえもんの青と白のコントラストも鮮明です。あの頃の色の記憶は、今も大切にしています。

父から教えてもらったこと

聞き手:―どのような家庭環境で育ちましたか?

大胡田さん:
父はリハビリの仕事をしていた人で、1970年代にデンマークへ留学して現地の福祉や障害者スポーツを学んだ経験がありました。だからか、私が幼い頃から「いずれ見えなくなるよ。だから今のうちにいろいろなものをよく見ておきなさい」と、ごく普通に、さらっと伝えてくれていたんです。

また、私が小学校に入るタイミングで、職場から遠くなるのも厭わず、盲学校に近い沼津へ一家で移住する決断もしてくれました。

聞き手:―お父さんカッコいい!

大胡田さん:
父は過保護にするどころか、海や山へ積極的に連れ出してくれました。兄と3人で富士山に登りましたし、小学生の頃には父の伴走で3.2kmのマラソン大会に出たこともあります。「見えなくなっても生活は続く」という、地に足のついた育て方でしたね。11歳で光を失った時に大きなショックを受けずに済んだのは、日常の延長として準備ができていたからだと思います。

冠雪した富士山のモノクロ写真。暗い空を背景に、山頂の雪が白く浮かび上がっている

畳の上の対等

聞き手:―盲学校時代は、どのような学校生活でしたか。

大胡田さん:
沼津の盲学校では恩師に恵まれました。当時の先生方は、休日を返上して和太鼓の練習に付き合ってくれたり、夏祭りの舞台を整えてくれたりと、本当に一生懸命で。その無私の姿勢に触れて、「自分もあんな風に誰かの可能性を開く教師になりたい」と思ったのが、教員を目指したきっかけです。

英語の先生との出会いも大きくて、学年に生徒が私一人だったこともあり、マンツーマンで教えていただきました。私が音楽好きだと知ると、毎朝最初の10分を洋楽の歌詞の読み解きに当ててくれた。「個」に寄り添う指導が、今の自分の原点です。中学3年生では一般のスピーチ大会にも挑戦させてもらいました。

聞き手:―部活動は何に取り組まれていましたか。

大胡田さん:
中学3年の時に自分で柔道部を立ち上げました。

聞き手:―なんと、立ち上げたんですね!

大胡田さん:
そうなんです。弱視で柔道がとても強い先輩に憧れたのと、ちょうど盲学校に柔道専門の先生が転任してきた縁があって。全盲になったことで、緑内障特有の運動制限(衝撃や眼圧上昇から残された視力を守るためのもの)からも解放されて、逆に「足元が見えない恐怖」がなくなった感覚があったんです。

見えないものは見えないと開き直ったら、思い切りぶつかり合える勇気が湧いてきました。畳の上では、見えている・見えないに関係なく対等にぶつかり合える。その経験が、私から劣等感を消してくれましたね。高校時代に品川駅のホームから転落したことがあったのですが、無意識に受け身を取っていたおかげで無傷で済みました。

聞き手:―高校の進路はどのように決められましたか。

大胡田さん:
兄から、「筑波は同級生が多い」「東京は刺激的で楽しい」などと話を聞いていたこともあり、筑波大学附属盲学校を選びました。実は沼津では「何でも一番」だったのですが、筑波では全国から個性豊かな同級生が23人も集まる環境で、猛烈なカルチャーショックを受けました。

数学が天才的にできる人や、プロ志望の音楽家がいて。彼らに照らされてはじめて「あ、自分は理系ではなく文系だったのか」と気づきました(笑)。そうした状況でしたので、「英語で勝負しよう」と自分の立ち位置が見えたんです。寄宿舎で出会った理療科の先輩に誘われて、文京区にある柔道の総本山・講道館にも通い始めました。盲学校の外の柔道家たちと揉まれた経験も大きかったですね。

誰もいない柔道場のモノクロ写真。窓から差し込む光が、一面に敷かれた畳を照らしている

言葉を尽くす教室

聞き手:―大学から教員になるまでの道のりを教えてください。

大胡田さん:
一度浪人を経験しましたが、その1年間で学力がかなり伸びました。静岡県立大学では、石川准(いしかわ・じゅん)先生――全盲で初めて東京大学を卒業した社会学者です――のもとで学ぶことができて、合理的配慮が整った環境で教職課程を深められたのは幸運でしたね。その後は、大学院も経ています。

静岡県にはパラリンピック金メダリストの河合純一さんという先例もあり、全盲の教員に対する理解を得やすかった面があると思います。一般の高校に英語教諭として採用されて、間もなく20年になります。

聞き手:―普通高校での授業は、どのように運営されていますか。

大胡田さん:
点字ディスプレイに座席表を入れるのはもちろん、小さなカードをリングで束ねたものを使って、ランダムにめくって生徒を当てたりしています。授業は対話型を徹底していて、生徒の沈黙や活気の変化を耳で捉えて、集中力が切れたと感じたら全員を立たせて音読させるなど、聴覚で空気を読んでいますね。現在は校長先生の配慮で2人担任制にしてもらっていて、メインの担任業務を私が行い、視覚的なフォローをもう一人の先生にお願いする形です。

誰もいない高校の教室のモノクロ写真。黒板に向かって机と椅子が整然と並び、窓から柔らかい光が入っている

聞き手:―聴覚で空気を読むとは!すごい先生ですね。

大胡田さん:
面白いのは、私が見えないことが生徒の成長を促していることです。「あそこ」や「これ」が通じないので、「何行目のこの単語」と説明しなければならない。言葉の精度を磨く経験が、小論文や面接での表現力にもつながっているようです。

学級日誌も、その日の出来事や気持ちを順番に私のところに読みに来させていて、生徒にとっては「言葉にする」練習の場になっています。関係が深まると、生徒は私が見えていないことを忘れるんですよ。「先生、僕のこの動き見ててください!」と言ってから、「あ、見えなかったんだ」と笑い合ったり。生徒たちは無意識に私の動線にある扇風機をどかしてくれたり、段差をさりげなく教えてくれたりもして、教室に自然な配慮の空気が生まれていくのを感じますね。

3つのお願い

聞き手:―最後に、盲学校の生徒や保護者の方にメッセージをお願いします。

大胡田さん:
自立というのは、何でも一人でできるようになることではないと思っています。自分のできることとできないことを見極めて、上手に周りの力を借りること。それが本当の自立ではないでしょうか。一人で完結できる仕事なんて、この世には一つもありません。

私は毎年、新年度の職員会議で同僚にプリントを配っています。そこには3つのお願いを書いていて、「危険な場所ではガイドしてほしい」「話しかけるときは名前を呼んでほしい」「書類はデータでほしい」。これを伝えることで、周りもどう助ければいいかが明確になるんです。もちろん、誰にどう頼むかを考えるのは大変です。自分のプライドもあれば、相手との関係もありますから。でも、できないことを堂々と伝えれば、周囲も動きやすくなる。助けを借りることは、相手の力を信頼することでもあると思っています。

聞き手:―なるほど、「あなたを信頼しているよ」と伝わるからこそ、相手とのより良い関係につながるんですね。

大胡田さん:
それに、ICTの進化で、昨日できなかったことが今日できるようになる「自立のアップデート」が日々起きています。変化を恐れず、周囲と対話しながら、自分の可能性を更新し続けてほしいと思います。

そしてぜひ、自分が憧れるような先輩やお手本を見つけてほしいですね。インターネットだけでなく、実際に働いている現場を見に行って、リアルな体温に触れてみてください。その憧れが、一歩踏み出すエネルギーになるはずです。

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