
「すべての経験を、財産に」
大胡田誠さん(筑波大学附属盲学校出身)
一冊の本をきっかけに弁護士を志し、日本で3人目の「全盲で司法試験に合格した弁護士」となった大胡田誠さん。その根底には、大学時代のとある経験がありました。日々、困難に直面する人々と向き合い続ける大胡田さん。松坂桃李さん主演で半生がドラマ化されたことでも知られる彼の、歩んできた道のりと、人を惹きつけてやまない魅力に迫ります。
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ーご無沙汰しています!改めて自己紹介をお願いします。
大胡田さん:
大胡田誠と申します。静岡県生まれです。先天性緑内障により視力は0.1ほどでした。小学校は盲学校ではなく、地域の学校に通っていました。
当時はデジタル機器があまりなかったので、母が教科書を拡大コピーしてくれることで、なんとか勉強にはついていきました。ただ体育や休み時間の遊びが結構きつくて。というのも、静岡県なのでサッカーが盛んでして。あまり見えない私は、一応参加しながらも、みんなの後ろをただついて歩くだけ。正直、あんまり面白くありませんでした(笑)。

その後視力が少しずつ低下していき、小学6年生の秋ごろに全盲の状態へと至ります。
ー当時はどのような心境だったのでしょうか。
大胡田さん:
昨日までできていたことができなくなる不便さと、何より周囲の目が怖かったですね。「かわいそうに」と思われるのではないか、バカにされるのではないかと。
その後中学校からは筑波大学附属盲学校(現:視覚特別支援学校)へと進学するのですが、それは自分の過去を知る人が誰もいない場所へ「逃げる」ように自由を求めたところがあります。
ー実際盲学校での生活はいかがでしたか?
大胡田さん:
そこで手に入れたのは、主体的な自由でした。盲学校では「見えないことが当たり前」ですからね。ガスバーナーを使った理科の実験や、二次方程式のグラフを立体的に表現する数学の教材など、自分がわかる方法で学べる環境が整っていました。障害を意識せず、恋をしたりバンドを組んだりする中で、「見えなくても自分はできる」という自信を取り戻していったように思います。
ーその中で、運命の一冊に出会ったと伺いました。
大胡田さん:
元々見えていたころから読書は好きだったのですが、見えなくなり、改めて点字を学ぶ中で、再び読書が好きになりました。そんな中、中学2年生のときに、学校の図書館で全盲の弁護士である竹下義樹先生の『ぶつかって、ぶつかって』という一冊と出会ったんです。
全盲でも、弁護士という社会的責任のある仕事につけるんだ!と、目の前がパッと開けたような出来事でした。そして、私も弁護士になりたいとう思いを抱きました。

—弁護士への道のりは険しかったでしょうか。
大胡田:
はい。当時はいくつもの壁がありました。まず、点字の参考書や問題集がほぼないので、ボランティアの方に一冊ずつ点訳をお願いするしかありませんでした。
次に、盲学校に所属しているため、自分の学力レベルが外の世界でどの程度なのかという相対的な位置が分からなかったことも悩みでした。何をどこまで努力すればいいかが見えづらかったんですね。
大学側の拒絶もありました。「全盲の学生は受け入れたことがない」と門前払いされたこともありました。また、大学受験では点訳リソースの制約を理由に「模試でC判定以上でないと受験を認めない」という内部ルールを突きつけられたこともあります。
—お話を伺っているだけでクラクラしてきました。
大胡田:
一年間の浪人の末、最終的には、慶應義塾大学法学部に受かることができました。ただ、合格者一覧を母が確認したときには、名前がなかったんです。よく見たら補欠のところに番号があって、最終的には繰り上げ合格という形で入学することができました。
忘れられない経験
ー大学時代はいかがでしたか?
大胡田さん:
忘れられない場面が一つあります。当時私は授業中に点字板を使ってノートをとっていたのですが、あるとき私が点字を打つ音が「うるさい」と、先生から教室の端へ移動するよう言われたことがありました。
当日私も若かったので、泣いてしまったんです。でもある同級生が「誰もに好きな場所で授業を受ける権利があるはずだ」と声を上げてくれて、その場で討論が始まりました。その結果、私は好きな場所に座っていいことになりました。
ーその先生の発言は、色々な問題をはらんでいますね。
大胡田さん:
そうですね。ただこの時、差別されるという立場を味わうと共に、そんな時でも味方がいることの心強さを知りました。この経験こそが、弁護士の仕事をする上での原点になっています。
ー卒業後はどうされましたか?
大胡田さん:
卒業後の3年間は、静岡の実家で「引きこもり浪人生活」でした。友達はみんな就職して活躍しているのに、自分は家族以外とは誰とも会わず、いつ受かるかも分からない勉強を続ける。あの出口の見えない絶望感は、今思い出しても震えます。
その後法科大学院に所属しながら勉強を続けました。膨大な論文や判例をスキャナーで読み込み、徹夜で電子データ化する作業に追われました。5回目の受験で合格した時は、それまでの重圧が一気に解け、アドレナリンが出るような、なんとも言えない感覚に包まれました。
「君の存在がみんなのためになる」。
ーその後はどこかの事務所に所属されたのでしょうか。
大胡田さん:
いくつか法律事務所の採用試験を受けたのですが、どこも雇ってくれませんでした。そんな僕を見かねてか、採用してくれたのが「渋谷シビック法律事務所」だったんです。
ここは採算性のない事件や、絶望的な状況の人が最後に辿り着く場所でした。借金で首が回らない人、刑事事件で捕まり、実家への手紙に貼る切手代さえない人……。僕は自分のなけなしの財布から2000円を差し入れしたりと、泥臭く現場に向き合いました。

ー壮絶に聞こえますが、得たものも色々とあったのでしょうか。
大胡田さん:
そうなんです。この現場で私は、絶望の淵に立たされている人が、適切な法的整理と対話を通じて自信を取り戻し、再び立ち上がっていく姿を何度も見ることができました。
また、当時の所長が私に、「君の存在そのものが、事務所と依頼者のためになる」と言ってくれたことも忘れられません。
ー人間そのものが持つ力、そしてご自身に対しても希望を持ったんですね。
大胡田さん:
はい。その後は、実は憧れの竹下先生の事務所で6年間働きました。書面一つとっても「これは弁護士が書く文章か!」と厳しく突き返される現場でしたが、そこで徹底的に技術を叩き込まれました。共感するマインドと、戦うためのスキル。その両輪が揃って初めて、プロの弁護士として独立できたのだと思います。
「行列のできない法律相談所」から広がった
ー独立後のお話も教えてください。
大胡田さん:
はい、2019年におおごだ法律事務所を設立しました。ただ、直後にコロナ禍になったこともあって暇になったんですね。で、スタッフと「暇だねえ」なんて言いながら(笑)。何かできることはないかと考え、「行列のできない法律相談所」と銘打って無料相談を募ったところ、大きな反響がありました。
一つひとつの相談に丁寧に耳を傾けることで信頼の連鎖が生まれ、結果として顧問先の獲得や出版へと繋がっていきました。
ー私の知り合いも大胡田さんに相談に乗ってもらいましたが、「いつも助けて頂いている」と言っていました。
大胡田さん:
実は私、学生のころから「三度の飯より、人の悩みを聞くのが好き」というタイプだったんですね。今はそれに応えることができる知識と経験がありますので、弁護士という仕事を通じて、誰かの悩みに応え続けられるのはやり甲斐があります。
現在は事務所の規模拡大を見据えつつ、今後は音楽家である妻とのユニット活動もしていきたいですね。
ー最後に、今盲学校で学ぶ子どもたちへメッセージをお願いします。
大胡田さん:
大学生の時に「点字を打つ音がうるさい」と言われた経験は、今自分が働く上での拠り所になっています。つまり、今みなさまが感じているかもしれない不安、周囲と違うという経験、それらすべてが唯一無二の「財産」になります。
だから、今の自分を悲観する必要はありません。むしろ、その経験こそが社会で生きるための味方になる日が必ず来ます。今の自分に自信を持って、一歩ずつ進んでいってください。