
「破天荒ヒーローでいたい」
清水陽香さん(埼玉県立盲学校出身)
- 起業
- 相談支援
- 全盲
1歳で視力を失い、アパレル・不動産・建築と職種を越えて働きながら、視覚障害女性のコミュニティを立ち上げた清水陽香さん。「20歳までに自立しなさい」という父の言葉と、親友の死をきっかけに外の世界へ踏み出した清水さんが、いま後輩に手渡そうとしている「破天荒ヒーロー」という役割について伺いました。
🎧 清水陽香さんのインタビューをAIポッドキャストで聴く
※この音声は記事をもとにAIが生成したもので、独自の解釈が加わっていることがあります
聞き手:ー清水さん、今日はありがとうございます。
清水さん:
こちらこそ、ありがとうございます。よろしくお願いします。
聞き手:ー早速自己紹介をお願いできますか。
清水さん:
清水陽香です。埼玉県出身で、1歳で視力を失って全盲です。小学部から高等部までを埼玉県立盲学校で過ごしました。
聞き手:ーどのようなご家庭で育ちましたか?
清水さん:
両親はとにかく厳しかったですね。特に父からは、「20歳までしか面倒は見ない。自立しなさい」と幼い頃から言われていました。見えないことに甘えていたら、親がいなくなったあとに何もできない子になってしまう。そういう危機感が、子ども心にプレッシャーとしてありました。マナー教育は徹底されていて、小学校3年生の時にはもう電話応対を完璧にこなしていました(笑)。

聞き手:ー3年生で!
清水さん:
今振り返ると、あれは「いい厳しさ」だったと思います。おかげで、大人になってから礼儀や敬語で困ることはありませんでした。一方で、そういう教育を受けていた私からすると、当時の盲学校の空気には少し馴染めなかったんですね。ハッキリ言えば、社会と繋がる文脈があまり教えられていないと感じていて、孤立感を覚えることも多かったです。
聞き手:ー盲学校の教育について、当時から思うところがあったのですね。
清水さん:
勉強が大事ということはもちろんです。ただ、人によっては、もっと徹底した技能教育や「社会力」を教えるべきだと思うんです。敬語の使い方、空気の読み方、一歩外に出る力。そういうものを教えないから、卒業してから社会と距離ができてしまう人が出てきます。生徒の将来と社会を繋ぐ文脈が足りない、とずっと感じていました。
そんな中、大きな転機がありました。
ラジオから聞こえた声を追いかけて
聞き手:ーどのような転機でしょうか。
清水さん:
唯一の理解者だった一学年下の親友が、高校生の時に病気で亡くなったんです。彼女も厳しい家庭で育っていて、共鳴できる存在でした。一生ものの友達を失った衝撃はとても大きくて、「人生は一瞬で終わるんだ」と突きつけられました。同時に、「誰かの役に立ちたい、人の苦しみがわかる人間になりたい」という思いが芽生えたのも、あの頃です。
聞き手:ー清水さんの人生を根本から揺るがす出来事だったのですね。
清水さん:
実はその後も、別の転機が訪れました。
ラジオで他校の弁論大会を聞いていたら、ある女子生徒が自分の夢をキラキラと、本気で語っていたんです。その純粋さに衝撃を受けて、「この子に会いたい!」と強く思ったんです。
当時の私は夢なんて何もなかったのですが、彼女のように輝いている子は絶対に大学に行くはずだから、私も大学に行けばいつか繋がれるかもしれない、と。それでお尻に火がついて、必死に勉強して共立女子大学に進学しました。
聞き手:ー実際に大学に入ってみて、いかがでしたか?
清水さん:
最高に楽しかったです。嫌なことが一つもなかった。サークルに入って、旅行に行って、ファッションを楽しんで。狭い世界から飛び出して普通の世界に混ざったことで、やっと一生ものの友達にも出会えました。そして3年生の時、例のラジオの彼女を突き止めて、ついに再会できたんです。「何年も追いかけてきた」と話したら、大笑いされました。今も大切な友人です。
「マッサージかPCか」の外へ
聞き手:ー新卒でアパレル企業に入社されます。何がその選択の理由でしたか?
清水さん:
洋服が好きだったからです。それに加えて、社会に出ると「視覚障害者ならマッサージかPC作業か」という二択を示される場面が多くて、そのことにも引っかかっていました。パソコンが特別好きなわけでもないのに、なぜそれしか選択肢がないのか、と。アパレルでは広報や人事のほか、CSRのプロジェクトリーダーやトレンドリサーチまで幅広くやらせてもらえました。20代の頃はフットワークも軽くて、楽しい時期でしたね。

聞き手:ーその後のキャリアはどうされましたか?
清水さん:
アパレルで8年勤めたあと、不動産業界で4〜5年働きました。その間に会社の倒産や離婚が重なり、生活も大きく変わりました。ただ立ち止まっている暇はなくて、今は建築関係の会社で在宅事務をしながら、あいた時間を活用して福祉施設で当事者支援に携わっています。重複障害者の方と遊びを通じて関わったりと、福祉の活動は6年間続けています。
聞き手:ー色々な場所で、多岐にわたる活動をされてきたのですね。
清水さん:
そうなんです。他にも、ビブリオバトル(好きな本を持ち寄りプレゼンする大会)で優勝したり、マラソン大会で走ったり、ファッションを全力で楽しんだりと、やりたいことを一つずつ重ねています。
また、視覚障害者の女性コミュニティも立ち上げました。
聞き手:ーどのような経緯で立ち上げたのですか?
清水さん:
コロナ禍で時間ができたのがきっかけです。視覚障害のある女性が、おしゃれや仕事、育児の悩みを気軽に共有できる場所を作りたくて、始めました。盲学校時代の自分に必要だったのは、こういう「社会と繋がるための情報交換の場」だったんだろうなと思います。私はたまたま積極的な性格ですが、そうじゃない人たちも「生きていて楽しい」と感じられるような、風通しのいい場を育てたいんです。
破天荒ヒーローでいたい
聞き手:ー清水さんのエネルギーは、どこから来ているのでしょうか。
清水さん:
実は腎臓に大きな病気を抱えていて、次に再発したら移植以外の道はない、という状態なんです。28歳の時に再発しかけて、死がリアルなものとして迫ってきました。だからこそ、自分の人生に悔いを残したくない。やれることはできるうちに全部やっておきたいんです。

聞き手:ー今後、どんなことに取り組みたいと考えていますか?
清水さん:
10年後には、孤独を感じている視覚障害者が安心して集まれるグループホームを作りたいと思っています。それから、盲学校にもっと関わっていきたいんです!先生や親は、どうしても「教育」という重みを帯びてしまう存在ですが、生徒さんたちに必要なのは、それだけじゃないと思うんです。
聞き手:ーと、いいますと?
清水さん:
利害関係のない第三者の大人が、ただ人生を楽しんでいる姿を見せること。それがとても大事だと思っていて、私はそういう役割を「破天荒ヒーロー」と呼んでいます。「あのおばちゃん、目が見えないのにマラソンしたり変なことばかりして笑ってる。あれでも人生なんとかなるんだ」って、生徒さんが思ってくれたら、それでいい。親でも先生でもない、第3の大人。責任がないからこそ、本音で話せることもあると思うんです。
聞き手:ー最後に、盲学校の後輩たちや保護者の方へメッセージをお願いします。
清水さん:
学校が大好きな子も、苦手な子も、どちらも正解だと思います。もし一人で悩んでいる子がいたら、私がいつでも話を聞きに行きますから、孤独にならないでほしい。私はパラリンピアンのような超人的な成功者ではありませんが、誰よりも明るく人生を楽しんでいる自信はあります。この盲B盲Gを通じてでも、いつでも連絡ください!