
「工夫すれば私はなんでもできるんだ」
佐々木幸恵さん(愛媛県立松山盲学校出身)
- 鍼灸あんま
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愛媛県松山市で鍼灸マッサージの治療院を営む佐々木幸恵さん。普通校での小学校時代から盲学校への進学、病院勤務と独立開業、そして子育てと地域活動の日々について伺いました。
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聞き手:ー佐々木さん、よろしくお願いします!まずは自己紹介からお願いします。
佐々木さん:
佐々木幸恵と申します。中学から愛媛県立松山盲学校に通いました。今は松山市で鍼灸マッサージの治療院をやっています。今日はよろしくお願いします。
教科書を丸暗記した教室
聞き手:ー幼少期のことから教えてください。当時はどのような環境で過ごされていましたか。
佐々木さん:
生まれつき未熟児網膜症で、右目はほとんど視力がなく、当時の左目は0.2ほどの弱視でした。でも、当時は情報が少なかったので、一般の人が使うような倍率の低い拡大鏡しか持っていなかったんです。一番前の席に座っても、黒板の字は全く見えない状況でしたね。
聞き手:ー黒板が見えない中で、どうやって授業についていったのですか。
佐々木さん:
4月に新しい教科書をもらったら、拡大鏡でひたすら読んで、全科目の内容を丸暗記して授業に臨んでいました。先生に「ここを読んで」と当てられても、覚えているのでスラスラ言えました。
3年生から6年生まで担当してくれた先生がすごくいい先生でね、黒板に書きながら、書いている内容を声に出して読んでくれたんです!私はその声を聞き漏らさないようにして、ノートに書き写していました。当時は自転車にも乗って走り回っていたし、見えにくいなりに自分でどうにかするのが当たり前でしたね。
聞き手:ー体育などの実技科目は、どのように参加されていましたか。
佐々木さん:
当時から身長が高かったので、列の後ろの方に並んでいたんですね。なので、ダンスとか動きがある種目は、自分の目の前に立っている人の動きを必死に見て真似していました。常に誰かの後ろをついていけば、なんとかなるという感じでした。
聞き手:ー中学から盲学校に進まれたのは、どういう経緯だったのでしょうか。
佐々木さん:
小学校6年生の時にふと思ったんです。「このまま丸暗記を続けて中学の勉強についていくのは、もう無理じゃないかな」って。松山に盲学校があるのは知っていたので、自分から母に「やっぱり盲学校に行く」と言いました。自分の限界を自分で察知して決めた、私なりの決断でしたね。
白い線だけを頼りに
聞き手:ー盲学校に入ってみて、それまでの環境との違いはいかがでしたか。
佐々木さん:
まず人数の少なさに驚きました。同級生は私ともう一人しかいなくて、女子は私だけ。家庭科の授業もマンツーマンだったんです。それから、何より「手厚さ」ですね。普通校では自分で動かないと何も始まらなかったけど、盲学校では先生が何でも先回りして準備してくれる。「危ないから座っていて」と言われることもあって、最初はすごく戸惑いました。
聞き手:ーその手厚さについて、どう感じていましたか。
佐々木さん:
「もっとやらせてほしかった」という思いはありましたね。私はできるのに、先生が整えすぎてしまう。良かれと思っての配慮ですけど、自分でもっと挑戦したかったのが本音です。
聞き手:ー部活動ではどのようなことに取り組まれていましたか。
佐々木さん:
陸上部で800m走をやっていました。盲学校のトラックは1周200mしかなくてカーブも急ですけど、伴走者なしで、一番内側の白い線だけを頼りに全速力で走るんです。音楽も好きで、吹奏楽部に入ったり、高校時代には障害者の国体や高等学校総合文化祭にも出場しました。

聞き手:ー卒業後の進路については、どのように考えていましたか。
佐々木さん:
当時は盲学校を卒業したら理療科に進むのが当たり前のような時代でした。他にあまり選択肢がないような状況だったんですね。でも私自身は、東洋医学に強い関心があったこともあり、望みながら理療科へ進み、3年間必死で学んで国家資格を取りました。
自分の城を築く
聞き手:ー資格取得後はどのような仕事をされてきましたか。
佐々木さん:
脳神経外科を中心に、耳鼻咽喉科や眼科もある総合的な病院で10年間働きました。脳卒中のリハビリだけでなく、耳鼻科では副鼻腔炎の手術後の患者さんを診ることもあって。手術後の患者さんは首や肩が「バッキンバッキン」に硬くなるんです。そうした臨床を経験できたのは大きかったですね。
聞き手:ーその後、独立へと進まれた経緯を教えてください。
佐々木さん:
就職した時は0.1ほどあった視力が、じわじわと0.06くらいまで下がって、入院患者さんを呼びに行ったり機械を操作したりするのが難しくなってきたんです。それでデイサービスに移ったんですけど、今度はそこを通るバスが減便になって勤務時間に間に合わなくなってしまって。地方は車社会ですから、交通機関がなくなると一気に手詰まりになるんですよね。
聞き手:ーそこからどのように開業に至ったのですか。
佐々木さん:
もう外に勤めに行くのは難しい、それなら自分でやろうと。ちょうど前の病院の患者さんから「続けて治療してほしい」という声もいただいていて、縁あって元鍼灸院だったテナントを借りることができました。今は自宅を建てて1階を治療室にした「職住近接」のスタイルです。子供が熱を出してもすぐ対応できますし、主人も同業者なので、お互いに治療し合いながら自分のペースで働けています。

聞き手:ー現在はどのような治療をされていますか。
佐々木さん:
東洋医学の「気の流れ」を見て根本原因を探る鍼治療に力を入れています。病院では対症療法が中心でしたけど、今は一人ひとりの状態に合わせて治療プランを組み立てられる。患者さんが笑顔で帰っていく姿を見ると、手応えを感じますね。
容赦のない信頼
聞き手:ーご家族との関わりについて教えてください。
佐々木さん:
うちは家族全員が晴眼者ですけど、私のことを全く障害者だと思っていないんです。とにかく「容赦ない」(笑)。姉なんて、姪が0歳の時に当たり前のように「今日仕事だから、1日預かってね」って託してきたり。
2年前には母が怪我をした時に「1週間、母さんの世話よろしくね」って任されたり。「目が見えないから無理」が通用しないんですよ。
聞き手:ーそうした環境は、今の暮らしにどうつながっていますか。
佐々木さん:
一人の人間として当たり前に役割を求められることが、「工夫すれば私は何でもできるんだ」という気持ちに繋がりましたね。今はPTAの役員をしたり、トーンチャイムの演奏を仲間たちと色々な施設や場所でしたり、学校で朝の読み聞かせをしたり。地域の皆さんと関わるのが楽しいです。

聞き手:ー最後に、今盲学校で学んでいる子供たちや保護者の方に向けて、一言お願いします。
佐々木さん:
できない理由を探すのではなく、できる工夫をして、何でもチャレンジしてほしいです。視力が0.04まで下がった今でも、私はそう思っています。白杖も独学や周囲の方から教わって身につけました。周りの大人は、つい先回りして手助けしたくなるかもしれませんけど、そこを一歩こらえて、子供が自分で方法を見つけるのを待ってあげてほしいですね。