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川本一輝さん(徳島視覚支援学校出身)のインタビュー記事

「見えないからできない、をなくす」

川本一輝さん(徳島視覚支援学校出身)


急激な視力低下。点字未習得の状態から、筑波大学附属視覚特別支援学校への挑戦。そして現役大学生としての起業。時代が大きく変わろうとしている今だからこそ、新しいスタンダードを創る。「一生では足りないぐらいやりたいことがある」と語る川本さんの言葉に触れると、自分も何か新しいことに挑戦したくなります。

ー川本さん、本日はよろしくお願いします。まずは、簡単に自己紹介をお願いします。

川本さん:
よろしくお願いします。僕は2歳の時に左眼を摘出し、右眼も弱視という状態で育ちました。小学校は地域の学校に通っていて、22ポイントの拡大教科書を使って勉強し、自転車にも乗れるくらい見えていたんです。でも、小6で急激に視力が落ちてしまって。卒業文集を書く際も、枠を自作して1行ずつずらしながら、鉛筆をめちゃくちゃ濃くして、自分の書いている文字を必死に追いかけながら書き上げたのを覚えています。

ーその後、いつから盲学校に通われましたか?

川本さん:
中学から徳島視覚支援学校に通いました。正直、「自分が盲学校に行くのか」とちょっと躊躇する気持ちもありましたが、地域の学区の中学校はマンモス校で、あまり治安も良くなかった。そこで、「自分に合った環境で力を蓄える」ことを考え、盲学校を選びました。

最初に驚いたのは同級生がいなく、全校生徒数が驚くほど少なかったこと。ただ、先生を含め大人は沢山いたので、大人というリソースをいい意味でフル活用することができて、白杖歩行など色々なスキルを身につけることができました。

教室に象徴的に立てかけられた一本の白杖

半年間の猛特訓

ーその後高校から、東京の筑波大学附属視覚特別支援学校(以下、附属)を目指されたのは、どのような動機があったのですか?

川本さん:
中1の担任だった社会科の先生がきっかけです。ロンゲを後ろで縛っているような、ステレオタイプとは程遠い先生で(笑)。彼が「君は附属のような環境へ行ったほうがいい」と、当時通っていた学校としては前例が少ない選択肢を提示してくれたんです。それまで僕は点字学習をしていませんでしたが、その言葉で「新しい世界」への扉が開き、受験のために半年で点字を習得しました。

ー半年で!すごいです。

川本さん:
放課後に教室で勉強したり、ときには寄宿舎でも夜中の3時まで点字を読み込みこんだりと、結構頑張りました。付属にはギリギリ受かったので、完全にマスターしたというよりなんとか最低限点字を身につけたという感じでしたが。

僕がそこまで付属にこだわったのは、小学校時代の経験があったからです。

金管バンド部に入りたいと言った時、特別支援学級に在籍しているという理由だけで、主任の先生から「前例がないからダメだ」と一蹴されたんです。でも、別の音楽の先生の力も得ながら、入部できました。さらに僕が道をつくったことで、2年後には知的障害のある後輩も入部できたんです。一度前例をつくれば、システムは変わる。その確信が、僕を突き動かしていました。

前例はつくるもの

ー附属での高校生活はコロナ禍と重なったそうですね。その中でも、印象的だった出来事はありますか?

川本さん:
はい。行事が次々と中止になる中、「このままでは思い出がゼロになる」と危機感を抱きました。そこで同期たちと、「もすこし行事をよこしな祭」という名前のイベントを企画したんです。生徒による漫才、1本グランプリ、ときには音楽科の生徒による本気の演奏。自分たちのやりたいことを理論的ににまとめ、職員会議を通して実現させる。先生も「何を言ってるのかと思ったけど、やらせるしかないわね」と笑って背中を押してくれました。

白い空間に象徴的に漫才用のスタンドマイクが置かれている

ー与えられるだけではなく、自ら考えて動いていく。起業家精神の芽生えのような出来事ですね。

川本さん:
そうですね。自分から新しい企画や機会をつくる立場へと、アイデンティティが転換した瞬間でした。この「能動的なアクション」こそが、今のブイリーチの土台になっているかもしれません。

「見えないから、できない」をなくす

ーブイリーチの設立経緯について教えてください。

川本さん:
地方と都市部の圧倒的な情報格差、そして「盲学校の優秀な先輩たちでさえ、見えないという理由でバイトすらできない」という課題が原点です。

大学1年生のとき、IBFF(一般財団法人インターナショナル・ブラインドフットボール・ファウンデーション)が主催するスペインでのビジネス研修に参加しました。

そのとき「盲学校の子どもたちへの家庭教師」というビジネスプランを持っていたのですが、世界中の仲間たちからいい意味でダメ出しをもらって。日本に帰る飛行機の中で、「そうだ、学習塾にすればいいんだ!」と思いついたのがきっかけです。

誰もいない象徴的な機内

ーその後の動きも教えてください。

川本さん:
まずは2024年11月に合同会社WillShineを設立しました。その後、2025年3月に「TOKYO SUTEAM DEMO DAY 2025」スタートアップコンテストで賞を受賞し、VCの方ともつながりができました。対話を重ねる中で、どうやったらビジネスとして成立するか、成長する可能性があるかの仮説検証を繰り返しました。

その結果、現時点では生徒数20人、講師数12人、インターン・業務委託4人がブイリーチに関わりをもってくださっています。ありがたいことに今は東京や大阪など都市部に住んでいる生徒さんが多いですが、全国の見えない・見えづらいみなさんに利用していただきたいです。また、勉強だけではなく、今後は全国の子どもたちを集めた「キャンプ」のような体験創出にも力を入れたいです。

ーやりたいことに満ちていますね。

川本:
正直、人生1周じゃ足りなくて、あと3周は欲しいくらいなんです(笑)。視覚障害教育、国際協力、アカデミックな研究。「川本って結局、何の専門家だっけ?」と思われるくらい、可能性を広げながら活動していきたいですね。

ー最後に、 盲学校で学ぶ子どもたちや、そのご家族、先生方に伝えたいことはありますか?

川本さん:
生徒のみんなには、「自分や周囲が無意識につくっている限界(前例)」を徹底的に疑ってほしいと伝えたいです。僕が金管バンド部に入れたように、誰かが一人、前例をつくれば道は開けます。そして保護者や先生方。どうか、子どもを「不安」の目ではなく、「可能性」の目で見て、機会を最大化してあげてください。

何か悩んだりしたら、この盲B盲Gに問い合わせてもいいんじゃないでしょうか。「川本に相談したい」ということも、是非連絡ください。