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青木礼菜さん(宮崎県立盲学校出身)のインタビュー記事

「やりたくないことにも一歩踏み出す」

青木礼菜さん(宮崎県立盲学校出身)


二児の母として、多忙な日常を送りながら、職場では社員の心身を支える専門職として信頼を集める青木礼菜(あやな)さん。地方特有の濃密な人間関係から、都会の「心地よい匿名性」へ。そして、身体に触れる仕事でありながら、プロとしての「絶妙な距離感」を維持する知恵についてお話を伺いました。

🎧 青木礼菜さんのインタビューをAIポッドキャストで聴く

ー(入室が2分遅れたインタビュアー)すみません遅くなりました!今日はよろしくお願いします。

青木さん:
いえいえ、大丈夫ですよ。よろしくお願いします。

ー青木さんは、地元はどちらですか?

青木さん:
宮崎県になります。地元の保育園に入園を断られてしまい、入学までは基本的には自宅にいました。小学校1年生からは宮崎県立盲学校に入学し、そこからいきなり親元を離れての寄宿舎生活がはじまりました。

今でも親とは他の親子より少し距離があるかなと感じることがありますが、それはこの早い時期からの自立が影響しているのかもしれません。

ーその時期の学びで、現在の青木さんの基礎になっていると感じることはありますか?

青木さん:
1年生の時の担任が、「ちょうどいいスパルタ」の先生で。特に墨字(普通文字)と点字を同時に叩き込まれたことには、今でも本当に感謝しています。

ーなるほど。両方を習得したことは、思考パターンにどう影響していますか?

青木さん:
語彙の正確さに直結していますね。視覚障害があると「ず」と「づ」の使い分けに迷うことがあると聞きますが、私は墨字の形も頭に入っているので、視覚的なイメージとして文字を捉えられています。点字でネイティブのように速読できる能力と、墨字による言語感覚。この「ハイブリッド」な思考が、私の土台になっています。

右手で字を書き、左手で点字を読んでいる象徴的な画像。

ー学校行事で、印象に残っている思い出はありますか?

青木さん:
海洋高校との交流イベントで船に乗って、一日中海に出て、海に入ったり、魚を釣った経験は忘れられません。安全管理上の理由なのか、そのイベントはその後なくなってしまったので、経験できてラッキーでした。

都会の「匿名性」に救われた

ー中学卒業後、宮崎を離れて東京の筑波大学附属視覚特別支援学校(以下、附属)へ進学されます。大きな決断でしたね。

青木さん:
実を言うと、当時は「とにかく家を出たかった」という切実な思いが強かったんです。地元は狭い社会で、どこで誰に見られているか分からない。「この間〇〇科の病院に行ってたよね」と声をかけられるような、窮屈さがありました。障害があることで、どうしても過剰に「見られる側」になってしまうんですね。

ーなるほど、一挙手一投足を見られている感覚ですね。東京での生活はいかがでしたか?

青木さん:
最高に楽しかったです! 都会の「誰も自分を気に留めない匿名性」が、私には合っていました。当時の附属は自由な校風で、事前申請すれば夜も出歩けたので、夜中まで友人とカラオケで過ごすこともありました。今思うと「ちょっと遊びすぎましたね」と思うくらいですが(笑)、あの時期に遊び尽くした「やりきった感」があるから、今は仕事や生活に集中できているんだと思います。

ー学校活動にも積極的だったと伺いました。

青木さん:
はい。文化祭の実行委員や寮の委員会活動など、企画から関わるのが面白くて。宮崎時代の「見られる側」の自分から、東京で「自ら動く側」へと変われた時期でした。普通科で3年勉強した後は、専攻科(鍼灸科)へと進みました。

誰もいない海。中学時代の交流イベントを思わせるような、青木さんの成長をどこか象徴するような一枚

「近すぎず、遠すぎない」

ー専攻科(鍼灸科)を選んだ理由はなんですか?

青木さん:
経済的な自立を優先しました。奨学金を借りてまで大学に行くより、早く手に職をつけたかったんです。もともと人と喋るのが大好きでしたし、国家資格である「あはき師(鍼灸マッサージ師)」の道は自分に向いているという確信がありました。

ーなるほど、明確な理由ですね。卒業後はどうされましたか?

青木さん:
まずは訪問マッサージの仕事をしました。色々な患者さんのご自宅に伺い、みなさまの人生を垣間見る面白さがありました。ただ、業界特有のグレーな部分や、書類上の葛藤……正義感との板挟みに悩むことも多くて。もっと誠実に仕事に向き合える場所を求めて、今のヘルスキーパーという仕事に辿り着きました。

ーヘルスキーパーとはどのようなお仕事ですか?

青木さん:
ヘルスキーパーは、私のようにあはき(鍼灸マッサージ)の国家資格を取得した人が、企業・団体等に雇用されて、関係者の心身の健康を保つことを専門にした専門職です。

最初に所属した企業では、ヘルスキーパーの存在自体があまり知られていなくて活躍の場が少なかったのですが、今の職場ではヘルスキーパーの啓発活動を行ってくれていたり、悩んだらすぐに相談できるマネージャーがいたりと、恵まれた環境で働けています。

ーヘルスキーパーという仕事の醍醐味を教えてください。

青木さん:
社員の方から「今日このマッサージがあるから会社に来られた」「これがあるから仕事を頑張れる」と言っていただける時ですね。素直に嬉しいです。

ー上司や同僚にも言えないことも、青木さんに本音で話せることもありそうですね。企業の健康だけではなく、職場の人間関係や、いい空気感といったものも守っているような存在ですね。

青木さん:
言われてみればそうかもしれませんね。

ー仕事をする上で、何かポリシーはありますか?

青木さん:
「近すぎず、遠すぎない」という、ほどよい距離感です。身体に触れる仕事なので、相手の悩みや本音が自然と伝わってきます。でも、あえて深入りはしません。私は社内の誰の部下でも上司でもない、いわば「中立的な外部の人間」のような立ち位置です。適切な距離を守りつづけることで、皆様安心していらして頂けるのだと思います。

「やりたくないこと」をやってみる

ー今後はどのような挑戦を考えていますか?

青木さん:
最近は自分のための時間がなかなか取れていませんが、子育ての中でPTAの役員をしたり、保護者たちのコミュニティーに積極的に参加したりといったことに挑戦しています。今後は運動など新しい趣味も始めてみたいですね。

私は昔から「やりたくないことでも、できる範囲でやってみる」というマイルールを自分に課しているんです。

ー「やりたくないこと」を、あえて引き受けるのですか?

青木さん:
はい。例えば、みんながやりたがらない委員会の仕事などです。あえて一歩踏み込んで引き受けてみると、新しい人間関係が広がり、自分のOSがアップデートされるのを感じます。「やらない」と決めつけてしまうのは簡単ですが、それでは自分の世界が閉じてしまう気がしています。

ー最後に、盲学校で学ぶ後輩たちへメッセージをお願いします。

青木さん:
もし何かに迷ったら、あえて自分が「やりたくない」と感じる方、みんなが避ける方に一歩踏み出してみてもいいかもしれません。そこには、今の自分には想像もできないような、新しくて面白い景色が広がっていることもあります。


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