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松本葵さん(愛媛県立松山盲学校出身)のインタビュー記事

「『どうしても』という想いを大切に」

松本葵さん(愛媛県立松山盲学校出身)


子どもへの読み聞かせ活動を続けている松本葵さん。取材中も、「ちょっと待っててくださいね」と一冊の大判絵本を持ってきてくれました。「こうして絵本を開いて、絵を子どもたちに向けつつも、私は絵が描いてある側に打ってある点字を『左右逆に』読みながら読み聞かせするんです」。お母さまからは「石橋を叩いて渡るタイプだよね」と言われながらも、ときに大胆な松本さんのインタビューをご覧ください。

🎧 松本葵さんのインタビューをAIポッドキャストで聴く

ー松本さん、はじめまして!どうぞよろしくお願いします。

松本さん:
松本葵です。愛媛県出身で、左目が全盲、右目が光や色が少しわかるような見え方で育ちました。盲学校は、愛媛県立松山盲学校に小学部から通いました。これまで、児童の教育や保育に関する仕事をしてきました。

ー小学部時代に印象的だったことはありますか?

松本さん:
白杖(はくじょう)を使った歩行訓練ですね。指導してくれた先生が、「まずは体育館に並べたフラフープの上を歩いてみて」「ぐるっと回って先生にタッチしたらゴールね」などと、遊びを通して自分から移動することの楽しさを教えてくれたんです。

無人の体育館に象徴的にフラフープが5個ほど並べられている

ーそれは素晴らしい工夫ですね!

先天的に見えないと「ボディイメージ」や人との距離感を掴むのが難しいのですが、先生はプロの視点で私の身体感覚を丁寧に育んでくれました。白杖を使い始めたのは小学校4年生ぐらいだったので、徐々に徐々に、移動することのいろはを体に馴染ませていきました。

そして何より、私には「どうしても、一人で学校の近くのマクドナルドに行きたい!」という強烈な想いがありました。あの「どうしても」という気持ちも、自分を突き動かしてくれたように感じます。

ー小学校4年生の夏、視力が急激に変化した瞬間のことを教えてください。

松本さん:
忘れもしない、7月13日の朝です。起きたら、白いはずの電気が肌色に見えて、青空が夕方のようなオレンジ色に染まっていました。家族には「疲れているんじゃない」と言われましたが、治りませんでした。結局、水晶体の濁りが原因だったのですが、大好きだったテレビが楽しめなくなったことが、子供心に一番のショックでした。

ーその状況を、どう乗り越えたのでしょうか。

松本さん:
幸い、すでに盲学校で点字学習も始めていたので、生活基盤が崩れることはありませんでした。そして、学校側の「自然な配慮」に救われました。例えば、廊下の壁に「鈴」をつけてくださって。壁を伝って歩き、手が鈴に当たれば「ここが教室の前だ」とわかる。私からお願いした記憶はないのですが、先生方がさりげなく環境を整えてくれていた。あの鈴の音は、不安定だった私の心を静かに支えてくれました。

ーその後、地元を離れて筑波大学附属視覚特別支援学校(附属盲)への進学を決意されますね。

松本さん:
はい。小学校4・5年の担任だった先生が、「中学からは附属盲に行ったら?」と勧めてくださったんです。当時の私は「1人だけのクラス」という環境で、先生は、私が「大勢の中で揉まれる経験」をしなければ、本当の自立はできないと見抜いていたのだと思います。

ー進学に向けて、ご家庭でも変化があったのでしょうか。

松本さん:
先生が親に「勉強は学校が責任を持つから、家では掃除や洗濯など、生活の自立を促してほしい」と伝えてくれたんです。そこから家事も少しずつですがやるようになりました。

自分を変えた日

ー附属盲での生活はいかがでしたか?

松本さん:
最初は、周囲のスキルの高さにカルチャーショックを受けました。中学校3年間は環境に慣れることに必死で、全体的には消極的な生徒だったかもしれません。

でも高校に上がる時、「今日から自分を変えよう」と決意したんです。授業で積極的に発言し、自分なりに「周りに合わせる方法」を習得していく中で、少しずつ自信がついていきました。

ー「今日から変えよう」と実際に自分を変えたのはすごいですね。

松本さん:
はい、「変わるんだ」という強い気持ちでした。

ーその他、附属盲学校で印象的だったできごとはありますか?

松本さん:
生物の先生の授業が象徴的でした。先生は対象物を触る前に、絶対に名前を教えないんです。「これは動物Bの骨です」と。名前を知ると分かった気になって丁寧に触らなくなるから、と。その「触れることで本質を知る」姿勢は今でも大事にしています。

数学の全盲の先生から受けた「家の周りに何があるか知っているか?」という問いかけも、今でも覚えています。「そういえば、近所のことって、知った気になっていたけど知らなかったな」と私の認識の狭さを打ち砕き、もっと広く深い世界を知りたいという知的好奇心を呼び覚ましてくれました。

理科室に置かれた魚の骨。誰もいない象徴的な写真

「どうしても」保育の道へ

ーその後「保育」に興味を持ったきっかけは何でしょうか?

松本さん:
14歳離れた妹の存在が決定打でした。帰省するたびに、ハイハイからつかまり立ちへと目覚ましく発達していく姿を目の当たりにして、「人間が育つプロセス」に強く魅了されたんです。

ーなるほど、妹さんがきっかけでしたか。

松本さん:
はい。でも、進学した和光大学では、保育学の主任教授から「あなたが保育士になっても子供の安全管理はできない」「現場に立ったら子供から馬鹿にされる」とはっきり言われました。本当に悔しかったですね。

でも、全盲の保育士が日本に実在することを知っていたので、「できないはずがない」という確信がありました。教授の言葉よりも、自分の直感と収集した事実を信じたんです。

ーその後の就職活動はいかがでしたか?

松本さん:
30件以上の保育園にアプローチしましたが、ほとんど前例がないこともあって、面接すら拒否される日々でした。でも私は必死でした。大学の講義をこなしつつ、附属盲の幼稚部で実習をしたり、自分で保育園を開拓して見学に行ったり。「自分に何ができるか」を証明するために動き続けました。

ー先ほどのマクドナルドのお話もそうですが、「どうしても」という強い想いはいつも松本さんを突き動かしますね。

松本さん:
そうかもしれません。1件だけ「あなたには保育のセンスがある」と受けいれてくれた園長先生がいて、まずはそこでボランティアをすることができました。

大学卒業後は、かつての恩師から「広島で放課後等デイサービスを立ち上げるから、来ないか」と電話をいただきました。そこでは視覚障害のある子どもたちに点字やソロバンを教えました。

ある女の子が私の姿を見て「松本さんは目は見えないけど、お化粧してるんだ。だったら私もできるんだね」と言ってくれて、私が当たり前にしていることが、子どもたちにとっては学びになることを知りました。

休みながら、進む

ー現場での子供たちとの関わりの中で、発見したことはありますか。

松本さん:
昔は「他の先生と同じように振る舞わなければ」と気負っていました。でも今は違います。大勢の安全管理を行うのは難しくても、子どもと同じ目線で座り込んで遊べば、触れ合いを通じて彼らの心の動きを深くキャッチできます。

読み聞かせでは、市販の絵本に「逆さまの点字シール」を貼る工夫をしています。そうすれば、私は上から点字を読み、子供たちには正しい向きで絵を見せることができる。子どもたちは「松本さんは目は見えないけれど、お話はできるんだね」と自然に受け入れてくれます。私の「見えない」という特性が、逆に子供たちの語彙力や、多様性を捉える力を引き出していると感じることもあります。

誰もいない保育園の部屋。おもちゃが床に並んでいる。本棚に立てかけられた絵本。

ー今も広島で働いているのでしょうか?

松本さん:
いえ、その後は一度立ち止まって学び直そうと想い、松山の盲学校の専攻科で3年間鍼灸を学びました。その間も、オンラインで東京のイベントに参加したり、点字技能士の資格を取ったりと、外の世界と繋がり続けました。

昨年婚約し、今は次のステップへ向けて「人生の休憩期間」を過ごしています。かつては走り続ける先輩方を見て焦ることもありましたが、今は「ゆっくり休憩しながら進むのが私のスタイル」だと肯定できています。

ー最後に、盲学校で学ぶ子供たちへメッセージをお願いします。

松本さん:
盲学校という守られた環境を大切にしつつも、意識的に『外の世界』と繋がって、同世代が何に興味を持っているかアンテナを張ってください。そして、もし道に迷ったり疲れたりしたら、ゆっくり休んでもいいと思います

「どうしてもやりたい」という思いに忠実でいれば、休息は停滞ではなく、次の飛躍へのエネルギーになります。自分のペースを信じて、休みながら、進んでいってください。

実際に松本さんが使用している絵本。絵が描いてある面に点字が逆さに打ってある特注。

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