
「スポーツにも人生にも最適なポジションがある」
寺西一さん(筑波大学附属視覚特別支援学校出身)
広島で育ち、東京での寮生活、ブラインドサッカー日本代表としての活躍、そして1000回を超える小学校での出前授業。寺西一さんは、中学生という多感な時期に視力を失うという大きな変化に直面しながらも、その都度出会う新しい世界や人々との「連携」の中に自分が輝けるポジションを見出してきました。
―まずは、ご自身の背景と自己紹介をお願いします。
寺西さん:
寺西一です。広島県出身です。生まれた時は弱視で、一番見えていた時期で視力は0.03〜0.04ほどでした。4歳頃からずっと眼鏡をかけて生活し、地元の幼稚園と小学校に通っていました。小学校3〜4年生の頃に急激に視力が下がり始め、中学からは東京の筑波大学附属盲学校(以下、附属盲)に入学し、寮生活を始めました。中学1年生の1月に左目の視力も失い、全盲となりました。
―中学生で東京へ出て、さらに視力を失うというのは大きな変化だったのではないですか?
寺西さん:
そうですね。ただ、当時は子供だったので「あ、言われていた通り見えなくなったな、早いな」というくらいの感覚で、ショックというよりは淡々と受け止めていた気がします。
ただ、附属盲に入ってから白杖歩行や点字の学習を本格的に始めましたが、墨字(活字)から点字への切り替えは本当に大変でした。最初はなかなか覚えられず、読みのスピードも上がらなくて。一時期は読み書きの習得を優先するために、学校の成績をある程度「捨てる」という選択をしたほどです。ようやく点字でしっかり勉強できるようになったのは、高校2年生くらいでしたね。
「体で分かる」という原体験
―盲学校時代の経験で、今でも大切にされていることはありますか?
寺西さん:
今でもお付き合いがある、地学の先生とのエピソードが深く残っています。先生は「地学は途方もなく大きい数字を扱う学問だ。その大きさを教えてやる」と言って、スーパーの袋いっぱいの1円玉を持ってきたんです。授業と休憩を合わせた110分間で、1000枚の1円玉を数えろという課題でした。

―1000枚を、手で数えるのですか?
寺西さん:
はい。実際に手を動かして数え続ける。その経験を通じて「頭で理解するだけでなく、体に入れて分かることが本当にあるんだ」と実感しました。これは今のブラインドサッカーの指導や、仕事での考え方にも直結しています。教科書を読んで分かることだけでなく、自分の体や感覚を通して得た納得感こそが、本当の意味での学びになると思っています。
―大学時代には教員を目指されていたと伺いました。
寺西さん:
広島では障害者雇用の教員枠に空きがあるという話を聞き、そこに入れば「人生イージーモードかな」なんてぼんやり考えて、和光大学に進学して教職課程を選びました。でも、大学2年生の頃にブラインドサッカー協会が始めた「スポ育(小中学校等へのブラインドサッカー体験型授業)」に参加したことで、考えが変わりました。
―どのように変わったのでしょうか?
寺西さん:
教科書通りに教えるよりも、その場にいる子供たちのリアクションに合わせて、対話の中から何かを伝える方が自分には向いていると感じたんです。毎日違う学校へ行き、違う人たちに出会い、その場で考えて伝える。決まった型ではない「ライブ感」のある伝え方に面白さを感じて、大学4年生から協会でインターンを始め、そのまま就職する道を選びました。
―これまで何回ほどスポ育を行いましたか?
寺西さん:
そうですね、1000回は超えているかもしれません。
―1000回!?
寺西さん:
はい、毎年100回以上を10年以上続けているので、おそらくそれぐらいになるかなと。はじめた当初は「見えなくてもこれぐらいドリブルもシュートもできるんですよ」みたいなこと、つまりインパクトを与えられたかどうかが価値があるものと考えていました。
ただ、今は「あんまりその辺の人と変わらないんだな」というコメントが出てきた時が、自分としては成功かなという方向性に変わってきました。当然僕らも上手くなるには練習するしかないのですが、それはみんな一緒だよね、という風に。

「穴を埋める」仕事の喜び
―ブラインドサッカーとの出会いはいつだったのですか?
寺西さん:
中学2年生の5月です。寮の先生に誘われたのがきっかけでした。それまでゴールボールやバレーボールもやっていましたが、ブラインドサッカーの「自由度の高さ」と「動き回れる感覚」には驚きましたね。最初は技術もありませんでしたが、人がやっていないことに挑戦している厨二病的な自分に少し酔っていた部分もあって(笑)、気づけばのめり込んで、20歳の時には日本代表に選んでいただきました。
―現在は協会でどのようなお仕事をされているのでしょうか?
寺西さん:
「スポ育」の講師や企業研修だけでなく、同行援護事業の運営や研修、人事、さらには営業活動まで幅広く担当しています。実は、仕事のスタイルが自分のサッカーのプレイスタイルとすごく似ているんです。
―と言いますと?
寺西さん:
私は現役時代、ずっと守備のポジションでした。華麗なドリブルで相手を抜くよりも、味方に声をかけて「背中が空いているよ」とコーチングしたり、危険な場所にボールが入らないように先回りしてポジションを取ったりする。仕事でも、誰かが困っている穴を埋めたり、トラブルが起きないように目配りをしたりすることに喜びを感じます。

―「連携」の中に自分の価値を見出されているのですね。
寺西さん:
そうです。圧倒的な突破力で一人で解決できる人もいますが、多くの場合は1対1よりも1対2、あるいは3人で協力した方が大きなことが成し遂げられます。自分の発信も、一人で言うより仲間と連携して伝える方が、社会に届くボリュームは大きくなる。サッカーも仕事も、自分一人の力ではなく、周りを巻き込んで連携していくことが、より良い結果に繋がると信じています。
専門スキルが自由につながる
―今後、寺西さんが新しく挑戦したいことはありますか?
寺西さん:
以前、オンラインで様々なマイノリティの方と対談する企画をやっていたのですが、そういった発信は続けていきたいです。視覚障害という枠を超えて、世の中にある「この人はこういう人だ」という固定観念を、良い意味で壊していきたい。マイノリティである自分だからこそ引き出せる相手の頑張りや苦労を、世の中にパス(発信)していく役割を担えたらと思っています。
―最後に、盲学校で学ぶ生徒さんや保護者の方へメッセージをお願いします。
寺西さん:
盲学校は、点字や白杖歩行、ICT活用など、目が見えなくても生きていくための「専門スキル」を身につけさせてくれる最高の場所です。新しい技術はどんどん出てきますが、まずは学校で教えてくれる基礎的なスキルを、サボらずに愚直に自分のものにしてください。それができて初めて、自分のやりたいことを諦めずに済む「自由」が手に入ります。
世の中にはチャンスがたくさん転がっています。「見えないから無理かな」と諦めるのではなく、培ったスキルを武器にして、広い世界に積極的に飛び込んでいってほしい。その先には、必ず自分を活かせる面白い世界が広がっています。